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齋藤学「10」は空き番の横浜F・マリノス。電撃移籍は背信行為だったのか? 1/15(月)

2018年1月15日月曜日



 キャプテンと「10番」をレジェンド中村俊輔(39)から引き継ぎ、チームの顔と呼べる存在だったMF齋藤学(27)の電撃移籍に揺れる横浜F・マリノスが14日、横浜市内で新体制発表会を開催した。

 約430人のファンやサポーターが詰めかけた会場内のスクリーンに映し出された、2018シーズンを戦う総勢30人の全登録選手のリストが、マリノスに発生している緊急事態を物語っていた。

 背番号の小さい順にたどっていくと、柏レイソルから加入した「9番」のロンドン五輪代表FW大津祐樹(27)の次には、森保ジャパンの一員として中国の地でAFC U-23選手権を戦っている「11番」のMF遠藤渓太(20)が続く。

 直前の12日に同じ神奈川県内にホームタウンを置く、J1王者の川崎フロンターレへ完全移籍で加入。サッカー界を驚かせた齋藤が背負っていた「10番」は、直前に持ち主が不在となった状況で、新たなシーズンへ船出することになった。

 振り返れば、昨年の新体制発表会も「10番」だけでなく「11番」も空き番のまま開催されていた。前者はジュビロ磐田へ電撃移籍し、サッカーを激震させた俊輔。そして後者はヨーロッパへの移籍を望み、昨年1月末で満了となる契約を更新していなかった齋藤だった。

 練習生の肩書きでマリノスの練習やキャンプに参加していた齋藤は、ヨーロッパの冬の移籍市場が閉じたことを受けて海外移籍を断念。2月に入ってマリノスと再契約し、俊輔に断りの電話を入れたうえで、キャプテンと象徴でもあった「10番」を引き継いだ。

 もっとも、ここで重要となるのが契約の年数だ。複数年契約を結んでいた齋藤は最終年となる2016シーズンに、プロ8年目で初の二桁ゴール(10得点)をマーク。Jリーグアウォーズでもベストイレブンに初選出された。

 心技体でもっとも充実している年齢に差しかかっていることを考えれば、再び複数年契約を結ぶのが自然の流れとなる。しかしながら、マリノスとは単年契約が交わされたため、今回のフロンターレ入りは移籍金が発生しない、いわゆる「ゼロ円移籍」だったと見られている。

愛媛FCへ期限付き移籍して武者修行した2011シーズンを除き、8歳からマリノスひと筋でプレーしてきた齋藤は、マリノスの公式ホームページに「恩を仇で返してしまうことになってしまいました」と声援や手紙、千羽鶴などで勇気を届けてくれたファンやサポーターへの思いを掲載している。

「僕はこの移籍を挑戦と捉えてます。より難しいところにチャレンジしたいという想いが、今まで育ててもらったクラブでもない、キャプテンでもない、また一から自分を作っていきたいという想いが、F・マリノスを離れるという決断を後押ししました」

 単年契約が結ばれた背景には、齋藤の強い海外志向をマリノス側が汲んだとされている。移籍金が発生しないほうが海を渡りやすいのは事実だが、齋藤への「情」を優先させた結果として、何も得られなかったといっても決して過言ではない。

 その意味ではマリノス側は、プロフェッショナルの仕事に徹しきれなかった。ヨーロッパへ移籍しやすい状況を求めて単年契約を要望したとすれば、齋藤および実際にマリノス側と交渉にあたる代理人にも、いわゆるモラルが欠落していたと言わざるをえない。

 選手を主力に育て上げた矢先に、契約満了に伴い無償で手放す――ここ数年間にわたって繰り返される日本サッカー界の悪しき潮流に対して、あるJクラブ関係者はこう警鐘を鳴らす。

「特に主力とされる選手は最低でも2年契約を結んで、1年分の移籍金を残してチームを出るかたちがノーマルにならないと、日本サッカー界は停滞する。選手の気持ちもわかるけれども、社会人としてどちらが正しい判断なのか。代理人側からの働きかけと世の中の常識との差を、クラブとして選手にしっかり伝えていくことがすごく大事になってくる」

 たとえば、ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンで出場機会が激減している日本代表FW原口元気。今シーズン限りで切れる契約の延長をクラブ側から打診されながら、これを拒否して2018‐19シーズンから移籍する道を探ったことで一気に信用を失った。

 それだけ「ゼロ円移籍」は、クラブに対する背信行為と映る。
次のシーズンにはいなくなることが確実な選手を、なぜ使わなければいけないのか、という視線にさらされる。サッカーのレベルだけではなく、クラブへの忠誠心という概念でもヨーロッパに大差をつけられていることになる。

 世界的な観点から見れば、昨年2月に齋藤が結んだ単年契約を、プレミアリーグのマンチェスター・シティFCなどを傘下にもち、少数株主ながらマリノスの経営にも参画している世界的なサッカー事業グループ、シティ・フットボール・グループ(CFG)はポジティブにとらえなかっただろう。

 おそらくは昨シーズンの半ばから、マリノスとの契約延長へ向けた交渉が開始されていたはずだ。しかし、齋藤は昨年9月23日のヴァンフォーレ甲府戦で右ひざを負傷。前十字じん帯損傷で全治8ヶ月の重症と診断され、いま現在も懸命なリハビリを続けている。

 しかも、離脱するまでの25試合でわずか1ゴールと、数字上では大きく成績を下落させていた。日本よりもドライとされる外資の評価が入るなかで、齋藤側が満足できる条件が提示されず、交渉がデッドラインを迎えたことも今回の移籍につながったと見ていい。

 地元川崎市出身で、契約が満了となる齋藤に対して2年連続でオファーを出したフロンターレ側にまったく非はない。移籍そのものも正当なルールに則っているし、選手側にもプレー環境を変えられる自由が認められている。

 齋藤としても、財政的な問題もあって設備が整ったマリノスタウンから撤退し、サッカーを取り巻く環境が急激に悪化したマリノスに対する不安や不満を抱いていただろう。

 それでも、今回の移籍にどうしても後味の悪さを覚えてしまうのは決定に至るはるか前の段階、要は昨年にマリノスと結んだ契約によるところが大きい。

 ヨーロッパに倣えというのであれば、選手、送り出す側、迎え入れる側、そして代理人を含めた、関わる者すべてがウィンウィンの関係になれる環境や考え方を、クラブだけでなくJリーグ、日本サッカー協会もまじえて早急に取り入れる必要があると教えられた一件だった。

(文と写真・藤江直人/スポーツライター)

From: Yahoo! Japan


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